Tech Seminar
世良耕太のZFテックセミナー LMP1に求められるクラッチの特性
ZFは自動車メーカー系チームが参戦するLMP1-Hだけでなく、プライベートチームが主体のLMP2や、市販車ベースの車両で争うLM GTEにもクラッチを供給する。
「LMP1とLMP2はカスタムメイドに近く、GTはカタログ品に近い」
こう説明するのは、ル・マンのパドックで各チームに供給するクラッチのサービスにあたるミハエル・イスチェンコだ。
「どちらかといえば、ドライバビリティよりも耐久性が重要になる。24時間のレース中に交換しないのが基本だ。(6月第1週の)テストデーとプラクティス、予選1回目までで1基。2日目に向けて2基目に交換し、予選2回目と予選3回目、そしてレースに臨むのが基本だ」
部品を交換すれば、作業に時間が掛かる。レース中はできるだけ、ピットで静止する時間を最小限に抑えたい。エンジンを載せ替えないのはもちろん、ブレーキパッドも交換しないし、クラッチもしかりだ。大まかに言って、量産車向けのクラッチは20万kmの耐久性を確保する必要があるのに対し、レース用は長くても2万kmを確保すればいい。距離にすれば10分の1だが、量産車に比べて大きなトルクに耐える必要があるにもかかわらず、軽量化やコンパクト化に対する要求が大きい。大きな力に耐えるためにはぶ厚く、ごつく設計すれば楽に要求をクリアできるが、そうはいかない。
例えば、ZFがLM GTEに供給するクラッチのライフは最低8000km(あるいは30時間)なのに対し、ポルシェ911(997)の純正クラッチは15万〜20万kmである。保証距離は19〜25分の1でいい。しかし、クラッチが受け止めるトルクはLM GTEが1330Nmなのに対して純正は890Nmであり、LM GTEはより大きな力を受け止めなければならない。
LM GTEはカーボンディスクを多板とすることで過酷な性能要件を満足させつつ140mmの小径とすることに成功しているが、コンベンショナルな素材を用いたシングル構造の純正品は240mm径だ。純正品の重量が約7000gなのに対し、LM GTE用は2437gしかない。耐久レース用のクラッチはスペシャルメイドであることがわかる。
「LMP1は大きなトルクと大きな馬力を発生するので、強いクラッチが求められる。エンジンのタイプが異なるし、ハイブリッドのシステムが違えば、ギヤボックスも違うし、周波数も異なる。だから、車両に合わせてクラッチをカスタマイズする必要がある。GTはコストが重要視される部分もあるが、LMP1は車両に合っていることが重要だ。そのために特別なマテリアルを使うこともある」
トヨタは2016年にエンジンを切り換えた。ポルシェと同様、ターボエンジン搭載車になったが、2015年までは自然吸気エンジンを搭載していた。自然吸気エンジンとターボエンジンでは発生するトルクの大きさも出方も異なり、クラッチに求められる要求も異なる。トヨタとポルシェで何より異なるのは、発進方法だ。
ポルシェの場合はごく一般的で、発進時はエンジンの動力をギヤボックスに伝達し、ファイナルドライブユニット〜ドライブシャフトと伝達して後輪に動力を伝達する。一方、トヨタの歴代マシンはリヤにモーター/ジェネレーターユニット(MGU)を搭載しており、発進時はギヤボックスケーシングの前部(ギヤクラスターの上流)に搭載したリヤMGUの動力を用いる。ドライバーはフットクラッチを踏んでステアリングホイールの左上にあるHVボタンを押す。その状態でアクセルペダルを踏み込むと、MGUのみの動力で走る仕組み。クラッチペダルを離すとギヤボックスとエンジンの動力伝達系がつながり、エンジンが始動する仕組み。つまり、リヤMGUをスターター代わりに使っているのがトヨタTS050ハイブリッドの特徴だ。
MGUによる発進〜エンジン始動のシステムとすることで、スターターモーターを廃し、軽量化を図っている。トヨタの場合は発進時にクラッチを使う必要がないので、その分セーフティマージンを削ることができたという。一方、電動系が不具合を起こした際はエンジンで発進ができるようなバックアップの仕組みが盛り込まれている。
アウディR18が搭載する4.0L・V6ディーゼルエンジンは、ポルシェやトヨタが搭載するガソリンエンジンの半分程度の回転数(4000〜5000rpm)で走行するが、発生トルクは強大で、850Nm以上を発生する。当然、クラッチに求められる特性も異なる。
「大きなトルクに対応するには、サイズを大きくするか、プレートの枚数を増やすか、クランプ荷重を増やす必要がある。また、フリクションプレートを材料の観点で検討する必要がある。摩擦係数を高くする必要があるだろう。これらを総合的に考えて最適な仕様にまとめる必要がある」
概要はここまでだ。
「秘密保持の観点から多くは語れないが、LMP1は特別なものを求める傾向があり、その点は各車共通している」とイスチェンコは語る。「軽量化したがるし、イナーシャを小さくしたがる。インナープレートが簡単に交換できるといった、サービス性の高さも必要だ。耐久性や機能に関して24時間しっかり持つ性能を求めてはいるが、過剰な性能は求めていない。24時間走った後でもう24時間走れるような性能は求めていないということだ」
過剰な性能はすなわち、大きさや重量の増大につながるからだ。「彼らはボーダーを狙う」とイスチェンコは表現する。「24時間プラス24時間は要らない。せいぜい30時間だ」。ターボエンジン搭載車の場合、ターボチャージャーで加圧した空気をインタークーラーに送るパイプには通常、アルミを用いる。ところがトヨタはその数十センチのパイプでさえもグラム単位で軽量化すべく、カーボンファイバーに置き換えた。
そのカーボンファイバー製パイプが何らかの原因で脱落して過給圧が上がらなくなったのが、5号車が終了間際に突然スピードダウンした理由だったのだが、そこまでして軽量化しなければ勝負にならないほど、LMP1-Hの競争は激烈を極めているということである。クラッチは例外、とは言っていられない。
過酷な環境で使われるだけに、カーボンプレートを用いた多板クラッチだと想像したが、多板であることは間違いないものの「必ずしもカーボンとは限らない」という返答がイスチェンコから返ってきた。例えば、LM GTEでは焼結メタルのクラッチとカーボンクラッチが混在している。
「カーボンが一般的にはなってきているが、焼結メタルクラッチを使っているチームもある。カーボンのデメリットは初期投資が高くつく点だ。その代わり、信頼性が高く、1基で2年間持たせることも可能だ」
マージンを極限まで削って小さく、軽くするのがLMP1用クラッチに求められるスペックだが、LM GTEの場合はコストが絡んでくる。初期投資はそれなりにするが、使用期間/距離が長いカーボンクラッチと、初期投資は低くて済むものの、交換サイクルが短い焼結メタルクラッチのどちらがいいか……という話である。
クラッチ操作の自動化が進んでいるのも、クラッチの長寿命化につながっている。
「ル・マンの場合、心配なのはピットから発進する際の熱だけだ。ローリングスタートなので、スタート時のクラッチの熱は問題にならない。厳しいのはピットアウトのときだけ。1レースに27回か28回、あるいは30回程度だろう。コースアウトしてランオフエリアに止まってしまった際もクラッチの出番になる」
できれば、クラッチをイレギュラーには使いたくない。優勝したポルシェ2号車は、24時間レース中に30回ピットストップを行った。クラッチにとってクリティカルな局面は、その30回のみ。2号車が24時間で行った変速回数は2万2984回に達したが、クラッチを切る〜つなぐ動作はドライバーの感覚に頼らず自動で行うので、負担は最小限に抑えられる。
「かつては、変速に要する時間がもっと長かった。ということはフリクション時間がもっと長く、耐久性に関してシビアだった。この4〜5年で状況はずいぶん変わったよ。ZFのクラッチはニュルブルクリンク24時間でも使われているし、アメリカのデイトナ24時間でも使われている。ドバイやバルセロナなど、世界中の耐久レースで多くのチームが使っている」
ル・マンにおけるクラッチと似たような意味で、F1のクラッチも近年は管理がずいぶん楽になったという。最適なバイトポイントを探り出す機能はついているので、発進時にクラッチを傷める可能性は低くなっていったし、変速時のオペレーションは自動だからだ。ところが2016年にレギュレーションが変わってマニュアル操作に頼る部分が増えたため、かつてのように「クラッチに厳しい」カテゴリーに変化していく可能性はあるという。
「でも、総合的に判断して現時点で最も厳しいのはLMP1とダカールラリーだろうね」と、イスチェンコは説明する。
「最悪の経験は、自分の担当した部品のせいでクルマが動けなくなることだ。これはいつでも起こりうることだ。なぜなら、LMP1の場合はスタンダードな パーツを持ち込んでいるわけではなく、ボーダーラインを狙った攻めたパーツで臨んでいるからだ。軽量化を追求しているし、イナーシャの低減を追求してい る。トラブルを発生するぎりぎりの領域に到達することもあり、その場合には状況を打開するソリューションを見つけるよう努力する。どんな状況になっても即 座に対応できるよう、万全の体制を敷いておくことが重要だ」
不断の努力の効果で、基本的に、クラッチについて気にすることなく、レースに集中することができる。
「あるカスタマーがこんなことを言ってくれたよ。『クラッチのことを考える必要がなくなって、助かっている』と。信頼性と耐久性が十分に高ければ、クラッチではなく他のことに意識と労力を振り向けることができる。頻繁に交換する必要がないので、チームにとっては都合がいい。交換サイクルが長くなるとZFにとっては不利益になるように感じるかもしれないが、そうではない。高い品質が評判になり、多くのカスタマーを呼び込むことにつながるからだ」
ハイブリッドパワートレーンの効率がどんなに高くなっていこうと、スターティングデバイス(トヨタの場合はエンジン始動時)にクラッチが 必要なことに変わりはない。信頼性を確保しつつ、軽く、コンパクトに──。パワートレーンの進化とともにクラッチも進化し、24時間の走りを支え続けている。