第6回 chapter3
サスペンション・デザイン その2:基本機構と力学的特質
ダブル・ウィッシュボーンの基礎知識
およそもう半世紀にわたって、フォーミュラカーを含めた純然たる競技車両の設計者たちは、基本的な作動原理として「ダブル・ウィッシュボーン」に分類される形態を選び続けている。もう少し分類の枠を絞ると、「不等長・不平行型」のダブル・ウィッシュボーンである。
こうしたサスペンション機構の基本分類は、まず車輪を保持し、上下方向のストロークに対して車体と車輪の間の相対運動を作るアームやリンクの類が、車体からどんな方向に伸びて、どう動くかを見るところから始まる。
車体の少し内側に揺動の支持点(ピボット)を置き、そこから横方向に伸びて車輪保持部と連結するリンク類は「ラテラル(横方向)リンク」と呼ばれ、これを上下一対組み合わせると、正面から見た時の車輪の動き、とくにキャンバー変化を作り出すことができる。それらだけでは車輪を常に保持することはできないの で、前後方向の動きを作り、力を受けるリンクも必要になる。ここで車体側のピボットを2点にしてそれが車体中心線と平行かそれに近い方向の「揺動軸」を形 作るようにして、そこからA字形の頂点で車輪保持部と連結するアームを使えば、前後方向の位置決めもできる。この形態のアームを「Aアーム」と呼び、鳥の 胸部にあるY字形の骨で、それを両側に割いた時の形で占い(wish)をする「ウィッシュボーン」を連想させるところから、自動車などの三角形ラテラル アームがこう呼ばれているのである。
ただし、一体のAアームでなくても、ラテラルリンクでキャンバー変化(およびスカッフなども)、別のリンクで前後方向を位置決めするレイアウトも「ダブル・ウィッシュボーン」に分類される。
ここで上下の横方向リンクだけでは車輪のトー方向の位置決めができない。各輪の操舵(積極的かつ大きなトー変化でもある)を受け持つ横方向リンク(操舵機 構の場合は「タイロッド」、トー方向の位置決めだけの場合は「トーロッド」)を加えて、最低3本が車輪の動きを規定する構成となる。
ひとつ付け加えておくなら、一般のロードカーのサスペンション形式としては、前後輪どちらであっても「仮想転舵軸を持つ」リンク・レイアウトに限って「マ ルチリンク」と呼ぶのが、本来の分類定義である。言い替えれば車輪側のピボットが転舵軸、すなわちトー方向の回転軸の一端となるレイアウトであれば、片輪 を位置決めするリンクの数が3以上であってもサスペンション形式として「マルチリンク」とは言わない。 もちろん純競技車両のサスペンションは弾性変形を伴うラバー・ブッシュ類をあえて組み込んでその変位の組み合わせによって仮想転舵軸を生む構成を取る必然 性はないので、1輪あたり4以上の多リンク構成であってもダブル・ウィッシュボーンに分類されるものばかりである。
大きな遠心力を受けた旋回の中のロール挙動
「ドライビングというスポーツ」において、とくにタイヤのグリップ限界まで踏み込んだコーナリングに挑戦している状況では、車体に作用する慣性力(遠心 力)も大きくなり、もちろんそれに釣り合うだけのコーナリング・フォース(接地面内で発生する摩擦力のうち、旋回円の中心に向かう成分)が発生し、サスペ ンションがそれを受け止めつつ走っている。もちろんロールも深くなり、主ばねもアンチロールバーもこの時に車体のロール量をある設定値に止めるようにセッ ティングしてあるのであって、そのばね反力が最大に近くなるところまで撓まされている。(図2)
サスペンションが深くストロークすることでラテラルリンクの車体に対する角度変化も大きくなり、その内外ピボットを結んだ線の延長上にある(はずの)瞬間 回転中心も直進状態から移動してゆき、左右輪で高さも、車幅方向も、かなりずれた位置に動いてゆく。この状態でもラテラルリンクの瞬間回転中心とタイヤ接 地面(中心)を結んだ線を左右輪それぞれに引いてできる交点が幾何学的ロールセンターだと考えることはできる。
ここでリンク長が短いと、ストローク量(車輪の上下移動)に対して車輪側ピボットが描く円弧が小さく、角度変化が大きくなるので、各輪の瞬間回転中心と幾 何学的ロールセンターの移動量も大きくなる。車両のパッケージング・レイアウトの段階からラテラルリンク長をできるだけ長く取れるように考えておきたいの は、ストロークに対する接地面の移動などジオメトリー変化を小さくし、同時にこの幾何学的ロールセンターの移動量も小さくすることで、クルマの動きを運動 変化の初期から限界付近まで素直なものになる、という経験則に基づくものである。
「別の形」にも思いを巡らせる。=新時代の固定
ここでもうひとつ、ダブル・ラテラルリンク形態ではないサスペンション・リンク機構についても、目を向けておきたい。左右輪を結ぶ一体の構造体の両端に固定する機構、いわゆるリジッド・アクスルである。(図3)
この形態は、かつて一般の路面状況が悪い時代、路面追従性が独立懸架に劣ること、そして駆動軸にする場合は最終減速歯車+デファレンシャル機構を一体に組 み込むことが定石であり、しかしそれはばね下質量を増す構成であることから、「能力が低い」かのようなイメージで語られ続けている。
しかし走行の場が比較的平滑な路面だけであれば、つまり今日一般の舗装路面、さらに競技専用の舗装コースであれば、左右のタイヤが常に同じ位置関係を保 つ、すなわち車体がロールする中でも対路面キャンバーを直立に保持し、左右輪が別々にストロークした時のトー変化も出ないなどの特質は、安定したタイヤ・ グリップ=挙動の安定、ひいてはドライビングのしやすさを生み出す可能性が高い。
今回論じてきた旋回時の車体ロール運動に限っても、車体に対してアクスル全体を横方向に位置決めする点がロールセンターとなり、その高さもかなりの自由度 を持って選べる上に、サスペンションがストロークできる中であれば、ダブル・ラテラルリンク機構と違って「動き回る」ことはない。
「ばね下質量が重い」という“弱点”についても、両端で左右の車輪を保持する構造体(車軸に相当する)をいかに軽く、かつ剛性の高い設計にするかによって、ダブル・ウィッシュボーンにする場合と較べて若干の重量増に止められるはずである。
駆動軸にこの左右輪固定軸機構を採用し、ばね下質量を重くしないためにデファレンシャル機構を含む最終駆動部を車体(ばね上)側に置くレイアウトを、19 世紀末の自動車黎明期にすでにこれを考案し、市販車に導入したメーカー、ド・ディオン=ブートンの名を冠して「ド・ディオン」方式と呼ぶ。ダブル・ウィッ シュボーン系だけが最良のサスペンション機構ではないことを踏まえて、車体と車輪の間を結ぶためにはどんな機構が好ましいか、様々に考えを巡らせるのは、 自動車のメカニズムに関わる中でも最も楽しいことのひとつである。