1.はじめに
フランス文化の中心パリから西に約2時間、郊外には田園地帯が広がり、流域には多くの古城が残るロワール川が流れる風光明媚なサルト県。県庁所在地であるル・マンは、そのほぼ中心に位置する。毎年、夏の訪れの頃、この街に世界各地から数十万人の人々が押し寄せる。
ル・マン24時間レース。今年で84回を迎えるこのレースは、「世界の三大レース」の一つに数えられる世界的なイベントである。自動車メーカー、レーシングチーム、そして、レーシングドライバーも、歴史と知名度を誇るル・マンに出場するためこの地にやって来る
2.中野信治選手
今年でル・マン出場9回を数える中野信治もその一人だ。1997年、日本人5人目のレギュラードライバーとしてF1にデビュー。2シーズンを戦った後、2000年には舞台をアメリカに移し、インディ500を含む当時の「CART」シリーズにも参戦した。2005年にはル・マン24時間に初出走し、日本人で唯一、「世界の三大レース」に出場した経験をもつドライバーである。
3.ル・マンへの道のり
歴史や伝統のみならず、観戦する楽しさ、そこに集うドライバーの魅力、文化としてのレース。そういったモータースポーツの奥の深さや素晴らしさがすべて凝縮された唯一無二の存在がル・マン24時間だと中野は言う。その力に魅せられ、自動車メーカーのバックアップを受けることなく個人での参戦を続けている。
企画書の作成からスポンサーへのプレゼンテーション、チームとの交渉まで、ル・マン24時間参戦のための全てを自分自身で行う中野はこう言う;
「僕にとってル・マンのコンペティションは、走る事だけでなくシートの獲得を含めてのコンペティションです。レース前に別の大きな『レース』を終えないとスタートラインにも立てない状況で戦いを続けているので、ル・マンに毎年帰って来ると感慨深いものがあります。」
「ツボを得た交渉を行い、非常に頭の良さを感じる」というヨーロッパのチームを相手に、昨年の12月からおよそ半年に亘る交渉を行い、スイスの「レースパフォーマンス」チームと最終合意に至ったのは5月に入ってからだったという。昼間は最低週3回、ジムでのトレーニングを行い、その後はスポンサー企業との打合せや会食。深夜に帰宅してからは、時差のあるヨーロッパ(チーム)との交渉という日々が続いたという。レースにおける「24時間」の前に、既に日常の「耐久レース」を5か月続けての正式決定となったわけだ。
4.ル・マンに入って
チームとの契約成立後、中野は5月15日にイタリアのイモラで行われた「ヨーロピアン・ルマン・シリーズ」第3戦に「レースパフォーマンス」からエントリー。昨年10月の富士、11月のセパン(マレーシア)以来となるドライブで実戦の感覚を取り戻すと共にマシンのセットアップを進める予定だった。走りそのものは、「数周しただけで感覚はよみがえってきた」が、レースでは豪雨によりほとんど走れずじまいでいったん帰国。マシンを充分に煮詰めることができないまま、ル・マンでの走行となった。
2週間足らずの日本滞在の後、6月5日に行われるル・マン24時間レースの公開テストに参加するため再び渡欧。19日に決勝レースのゴールを迎えるまで、一カ月近いル・マンでの生活が始まった。その間、充分に体調を整え、集中力を養うための生活拠点選びも非常に重要な仕事となる。チームが全てのお膳立てを行う、いわゆる「ワークスチーム」のドライバーではない中野は、こうした準備も自身で行う。
今回は、地元のイボンさんのお宅に滞在した。地元の新聞社に勤めるカメラマンで、2年前にル・マン24時間に出場した際に知り合って以来の友人だそうだ。彼は、中野の印象を次の様に語ってくれた;
「とても礼儀正しい一方、すごく気さくで一緒にいて楽しい人物ですね。同時に、プロ意識の高さはすごいですよ。身体に良いモノしか口に入れませんから。このジュースも、私が毎朝、フレッシュなオレンジを絞ってシンジに渡しているんですよ(笑)」
もともとスポーツが好きで、F1時代から中野の事はTVで観て知っていたというイボンさん。今では中野のル・マン挑戦を支えるサポーターの一人になっている様だ。
… 第2回に続く