その3:マシンをセットアップする。

まず、マシンの全てを理解することから。

『競技車両のプロトタイプ』としてのマシンが完成し、現実に「走らせる」段階に入ったら、そこからは「トラック・エンジニア」を核とした実車開発・実戦チームの仕事が動き出す。一般の自動車開発の中で言えば、車両の様々な特性を確かめ、製品コンセプトに適った「動質(Quality of Dynamics)」に仕上げる車両実験部門の役割に加えて、競技車両を扱う上では何よりマシンが持つ速さを引き出し、実戦の場でコースとドライバーに合わせた最適セッティングを導き出すことが、この「トラック・エンジニア」の役割である。

その立場にある彼または彼女が新しい車両を前にしてまず最初にするのは、マシンのエンジニアリングを理解し、把握すること。それも「ノーズ先端からテール エンドまで」舐めるように、徹底的に。設計者として関わってきたとしても、もう一度スタートラインに立って確かめてゆく。

例えばサスペンション・ジオメトリーやステアリング・ジオメトリーはどんな考え方に沿って、どのような数値が設定されているのか。どの部分がどう動いて、どんな作用をするのか。実際に完成した車両ではどこがどのような仕上がりになっていて、ジオメトリーや作動の滑らかさは設計どおりに実現されているのか。されていないとすれば、どこがどんな数値になっているのか。

動力系に関しても、エンジンのトルク特性はまず全開で、さらに部分負荷でどうなっているのか。制御はどんなやり方で、どの領域をどう調整できるのか。トランスミッション~最終減速の変速比はどんな組み合わせになっていて、選択できる要素はどこで、どれだけあるのか。

さらにはドライバーの着座姿勢、操作系の位置関係、安全装備を含めた着座・調整をどうするか。それのどのくらいの時間がかかるか。ドライバーの体型・体重によって車両の、4輪の重量配分はどう変わるのか…etc.。ひとつずつ確かめて、一覧に整理しておく。これが、技術者としてマシンとの『対話』を進める上での出発点だ。

タイヤと路面の関係を追求する。

そこから、前回に紹介したような基礎特性の計測を進める。その着手点でのマシン・セッティング、とくにサスペンションの主バネ、ダンパー、アンチロールバー、ジオメトリー(静止状態アライメント)の設定は、「設計基本値」に整えたところから始めるのが原則だろう。

これで定常円旋回試験を行えば、車両の旋回特性が確認できるだけでなく、実際の対地キャンバー変化も見て取れるので、それに応じて初期キャンバーを設定し、それが旋回特性と車両挙動にどう現れるかを確かめてゆけばいい。同時に車両のヨー方向の姿勢や旋回に入る過渡挙動などを考え合わせてトー角の初期値を設定し、これも実走で効果(良い面・悪い面)を確かめる。

タイヤの「使い方」についてもう少し踏み込んで解説しておくなら、「競技としてのドライビング」を追求するとなればやはりタイヤが持つ摩擦力(グリップ)をどこまで引き出すかが求められる。その第一歩として、まず実際に最も多用する、そして「速さ」に結びつく旋回状況で、最も大きな摩擦力が得られるように対地キャンバー角を設定する。

実地試験としては、やはり定常円旋回で摩擦力の総和=求心加速度を計測しつつ、タイヤ接地面のコンパウンド(ゴム)の温度分布と、トレッド表面の変化を確 かめることで判断するべきものだ。コンパウンドの温度については、走行直後、速やかに外・中・内の3点を計測する。コンパウンドが「作動」している状況は 表面から少し入った内部の温度に現れるので、このときに使う温度計は表面温度(放射赤外線など)ではなく、ゴムの中に押し込む「プローブ」(探針)接触式 のものが望ましい。同時に内圧も確認する。

トラック・エンジニアは、走行毎に4輪それぞれ×3点のコンパウンド温度と内圧の計測値と記録し、アライメントをはじめとするセッティング、走行条件・路面状況(路面温度や走行継続状況)などと対応させて整理し、傾向を把握しておく。

トレッド表面の状態については、サーキット競技専用タイヤの場合は、ゴム表層が「溶けた」ようにべたつく状態になることで粘着力を高めるコンパウンドが使われている。そこまで温度が上がらないまま横滑りすると、やすりで斜めに削られたような磨耗痕が現れる(「グレイニング」などと呼ぶ)。走行直後にタイヤ表面を観察し、このような粘着と磨耗の状況を確かめることで、タイヤをどう「使って」いるかを判断することができる。

こうしたデータ(温度・内圧の計測と表面目視)を積み重ね、整理することが、路面状況とコース・レイアウトに応じて、車両をどうセットアップすればタイヤをより良い状態で接地させることができるかを考える基礎データとなってゆく。

バネ系の作動も実走で確認。

定常円旋回試験では、遠心力の変化に応じて前後それぞれのロール姿勢、すなわち車体のロール角だけでなく、内外サスペンション・ストローク(差動)も確かめられるので、そこから例えばロール剛性の過不足も見て取れるし、旋回外側輪の沈み込み・内側輪の浮き上がりがどのように発生しているかが読み取れる。

一方で旋回外側輪の荷重に対するバンプ(縮み)ストローク量に着目すれば、実走・実動の中でのバネレート(ホイールレート)も推定できる。ここで主バネによるホイールレートを確認したいのであれば、アンチロールバーを外した試験を行えば良い。

主バネのスプリングレートを選ぶ要件のひとつは、想定される最大荷重が加わった状態で、設計上で設定したサスペンション・ストロークを使い切る手前の縮み量に収まるようにすること。もちろんそこまで縮んだ中で路面の突起を踏めばさらに縮み方向へ深く動くわけで、そこでもサスペンション・ストロークを使い切らないようにしたい。一般的には、量産車でも競技専用車両でもフルストロークまで使い切らないように「バンプストップ」のための弾性塊(ラバーやウレタン)を組み込む。このバンプストップ・ラバーは、主バネとの複合でプログレッシブレートのバネ特性を形づくることになり、とりわけ車両の限界挙動に大きな影響をもたらす。車速の二乗に比例する空力荷重を受けつつ走る最近のサーキットレース車両では、このバンプストップ・ラバーを「パッカー」と呼んで、縮みストローク限界を細かく設定しつつ、それが「タッチ」するところの挙動変化までがセッティングの対象となっている。

ロール剛性バランスで旋回特性も変化する。

主バネとアンチロールバーの組み合わせによるロール剛性は、旋回時に作用する遠心力を受け止めることで、内輪側から外輪側に荷重が移動する、その力の大きさを決める。タイヤの摩擦力は荷重の増加に対して非線形な特性を持つ、つまり荷重増加とともに摩擦力は増えてゆくが荷重が大きくなるにつれてその増加が頭打ちになるのであって、すなわち旋回時の遠心力による外輪への荷重移動が大きくなると、内外輪を合わせた摩擦力(コーナリング・フォース)は減少しはじめる。

この原則に則って考えれば、前後それぞれのロール剛性を調整することで、定常円旋回のグリップ限界付近で前輪、後輪、どちらの滑りが大きくなるかを変化させることができる。すなわちアンダーステア・オーバーステア特性を、前後のロール剛性によって“チューニング”することが可能である。そしてもちろん、この前後ロール剛性とステア特性の関係確認も、定常円旋回試験によって行えるもので、それを整理したデータを元に実際のコース走行のセットアップへと展開するのが『早道』となる。

その一方で転舵~前輪側に横力発生・ヨーイング発生~旋回へ、というプロセスにおいてはロールの現れ方(角速度)と外側輪への荷重移動が、転舵応答の速さに直接影響する。その意味では、フロントのロール剛性はある程度高いことも必要になる。リアに関しては、とくに後輪が駆動力を受け持つクルマの場合、旋回の中から駆動力を増してゆくところで、タイヤの摩擦力ができるだけ安定していることが望ましい。俗に言う「グリップの粘り」が求められる。この視点からは、ロール剛性とともに加速の中で起こる後方への荷重移動に対してもサスペンションの縮みストロークが柔らかく出ることが望ましい。もちろん内外サスペンションの力学的バランスによって、旋回限界付近で内側タイヤが路面から浮き上がる挙動が出るような車両では、ロール剛性を高めに設定しなければならなくなる場合もある。

しかしロールを固めすぎると、旋回時に外輪接地点を支点(瞬間的なロールセンター)としてクルマ全体が浮き上がる挙動に至るので、ここは「適切なロール剛性」を見出すことが欠かせない。

ダンパーはクルマの運動全般に関わる存在。

ロール運動をはじめとする路面に対する車体の運動、サスペンションの伸縮ストロークの「速さ」、つまり過渡的な動きをコントロールするのが、ダンパーである。言い替えれば、クルマが様々な運動をする中で、タイヤの接地面を路面にどう「押し付けて」おくか、そこで生まれる摩擦力によってどんな運動が現れるか、その鍵を握るメカニズムが、ダンパーなのだ。定常円旋回の特性から一歩踏み出して、向きを変える~踏ん張る、あるいは旋回の中での挙動変化、連続する複数の旋回…などの車両運動を「最適化」しようとすれば、ダンパーに着目することになる。

そしてこの領域までセットアップが進んできたら、走行試験に定常円旋回だけでなくスラロームなども加える。いうまでもなく舵・旋回の切り返し、その過渡的 な運動を確認するためであり、左右旋回の間隔や切り返しのリズムが異なるスラロームを何パターンか(ここで論じている車両では2~3種類は欲しい)用意し てテストを重ねることが望ましい。

サスペンションのバネ系の机上検討としては、まず主バネによるホイールレート(車輪-車体間で作用するバネ定数)が計算でき、その共振周波数が導かれる。ここで論じているような、サーキット系路面を走り、駆動輪は後輪という形態の競技車両では、前後のバネ上共振周波数は一般の乗用車よりも高く(走行時に働く慣性力が大きい)、[前>後]となるのが一般的である。

サスペンションが縮んで戻る瞬間にこのサスペンション・スプリングによる共振の波が現れないところまで振動を強く押さえ込むのを「臨界減衰」と呼ぶが、ここまでダンパーが伸縮に抵抗する力(減衰力)を強くしてしまうと、タイヤが路面の凹凸に追従できなくなる。そこで実際には、臨界減衰に対して半分前後の減衰力、というのがひとつの目安になってくる。しかしあくまでも「目安」にすぎない。実際にクルマを走らせる中で、路面の凹凸がどのくらいあるか、それをどのくらいの速度や旋回状態で駆け抜けるか、タイヤのグリップはどのくらい出ているか、ドライバーの転舵操作は滑らかか、粗いか…など様々な要素によって、ダンパーの効かせ方は変わってくる。

だから、競技用車両としては減衰特性が調整できるダンパーが欲しい、ということになるのだが、まずその調整機構によっても減衰特性の変化のしかたが変わる。さらに現実の走行の中で、どんな動きに焦点を当てて、減衰力をどう変更してその結果を見るか、などセットアップの「マトリクス」はみるみる複雑になってゆく。それでもなお、セットアップが進んだところで「ドライバーにとってコントロールしやすく」「タイヤをできるだけ路面に“付けて”おく」ための最重要ファクターは、ダンパーなのである。

パワーユニットも図示性能以上の質を作る。

エンジンの特性をどう作ってゆくか。その基本も定常円旋回にある。一定の舵角、一定の車速を維持して円を描く。そこに持ち込む微妙なアクセルの踏み込みに対してエンジンがスッと反応し、足を止めたらそこで一定のトルク・回転に落ち着くか。どんなコーナーでも旋回の鍵になるゾーンで必ずこの「バランス・スロットル」状態がある。そこからアクセルを踏み込んで加速に移る。この一連のプロセス、アクセル・コントロールに対する反応(レスポンス)と追従性(ドライバビリティ)が仕上がっていないと、ドライビングの組み立てが崩れてしまう。

もとより、直線の到達速度を高めて加速時間を稼ぐためには、全負荷状態での出力が高いほどいいわけだが、まがりくねったコースを意のままに走らせて、その結果としてタイムを切り詰めてゆくために、エンジンに求められるのは何より「過渡特性」なのである。

その意味では、コースのひとつひとつのコーナーを旋回するところではエンジンのトルクが厚く、応答が良い回転速度域に合わせ、加速を続けて次のコーナーに達したところでレブリミットになる、という使い方ができるような変速比を設定することが、競技専用車両のセッティングの第1段階となっている。ここで論じている車両では既存のパワーパッケージを流用することになるので、変速比の選択幅が限られるのはやむをえないけれども、最終減速比の選び方だけでも、コースレイアウトに応じた変数を用意しておきたい。

ドライバーこそ最良の計測システムに。

最後にもうひとつ。

マシンをどうセットアップすればどんな動きになるか、特定のコースで、でも条件が変化する中で「速く」走るクルマに仕上げる中で、何より大きな影響を持つ要素は「ドライバー」である。いくら多くのセンサーを組み込み、データを収集したとしても、実際にマシンがどう反応し、どう動いているかを体感しているのはドライバーであって、コース全体にわたるドライビングとマシン挙動の「記憶」があって初めて、データの中から「現象」を見つけ出すことができる。より良いセットアップを模索するのも、そこからでないと始まらない。

したがってドライバーはまず定常円旋回だけでも、舵角一定・速度一定で正確に再現できるよう、トレーニングする必要がある。複雑なレイアウトのコースで「タイムを出す」のは最後でいい。その前に、走って戻ってきたら1周の運転と車両挙動を自分自身の脳の「データロガー」から引き出し、言葉にしてトラック・エンジニアに伝える。コース図の上でひとつひとつ説明してもいい。
その時、コーナリングのプロセスを「減速~転舵」「クルマの向き変え(ターンイン=ヨーイング発生)」「ミドル・オブ・ コーナー(定常円旋回的に深く回り込むところ)」「アウト・オブ・コーナー(旋回から加速、コーナー脱出)」というブロックに分けて話し、考える。

もし、この「ヒューマン・データロガー」がうまく機能しない、つまり走行から戻ってきて「どこで、どうやって、何が起こったか」を説明できないとしたら、それはマシンを操ることに脳全体を使い切っている、ということだ。その場合は、少しだけでいいから走るペースを下げる。ラップタイムでいえば1周・1分のコースで2~3秒、多くても5秒落とせば、ドライビングそのものを考え、確かめながら走る余裕が生まれる。ブレーキングを少し手前から、一呼吸の「間」を持って始めるようにするだけでも違う。その状況でも車両運動としては限界領域なのであって、それを分析すればセットアップとしては十分に有効なものになる。

もちろん、コンペティション・ドライバーとして「ここ一発」という状況では、自分自身が持てるものの全てを使ってフルアタックする。ただしドライビングのエキスパートたちはそんな状況でも、脳に刷り込まれた身体運動のプログラムでマシンを操り、「記憶する脳」の領域は余裕をもって働いているのだけれども。