伝統に根差した企業時代の変遷を経たZF

ZFの前身「ツァーンラートファブリークGmbH」は100年前に創立されました。波乱万丈の歴史の中で、ZFはその企業精神を糧にドライブラインおよびシャシ・テクノロジーの技術的リーダー企業に発展しました。

革新と伝統の調和

ツェッペリン飛行船用のギア・ホイールおよびトランスミッションのメーカーとしてのスタートから、ドライブラインおよびシャシ・テクノロジーの世界的サプライヤーとなった今日に至るまで、ZFは絶え間なく成長を続けています。1915年の設立以来、当初はトランスミッション、そして、近年ではステアリング・システム、ディファレンシャルおよびアクスルなど、さまざまなお客様向けに、多種多様な製品をご提供してきました。 しかしながらZFは自社のためだけの歴史を歩んできたのではありません。アストン・マーチン、BMW、マセラティ、MAN、メルセデス・ベンツなど、有名メーカーの開発と製品に携わり、多くの自動車メーカーの歴史に与してきたのです。ZFのエンジニアたちは、革新的技術、ハイテク素材を駆使した専門技術、絶え間なく磨かれる製造方法により、市販車とモータースポーツの両方において発展を牽引してきました。

トラクターからヘリコプターまで

トラクター、ヘリコプターからモーター・ヨット、スポーツ・カーまで、古くても、使い物にならないわけではありません。クラシックな乗り物には、ビンテージ・ファンでなくとも興奮させられるものです。ZFは、包括的なグループのアーカイブや、コンスタントに増える歴史的なコレクションなど、技術の歴史を豊富に保管しています。現在の自動車コレクションに含まれるものとしては、ZF標準トランスミッション付きの1940年型Magirus消防車、ZF A4トラクター・トランスミッションを搭載した1957年型Porsche Diesel Juniorトラクター、ZF初の乗用車用オートマチック・トランスミッション3HP12、およびZFウォームおよびローラー・ステアリングを使用した1967年型BMW 2000 C、ZF5速マニュアル・トランスミッションおよびセルフ・ロック・ディファレンシャルを使用した1973年型Alfa Romeo Montrealなどが挙げられます。

ZF:優れた技術のトレードマーク

ZFは、顧客、パートナーおよび従業員との信頼関係を重視しており、技術的な専門知識、品質、サービスを提供することに誇りを持っています。会社の伝統と歴史に敬意を払うことが、ZFブランドを存続させることにつながるのです。そこに息づいているのは、テクノロジーに対する驚くほどの熱意です。伝統と共に歩むことにより、新たなステージに進むことができます。ZFにとって伝統とは、社の歴史をまとめ、技術的マイルストーンを記録することだけではなく、現代に生き続ける実践的なものという認識なのです。ZFの伝統というテーマのもと、当社は、ZF製品を搭載したクラシック・カーの所有者に、彼らの質問や問題に対応するための専門の窓口を提供し、技術的な情報、修理の提案および部品の交換によって、クラシック・カーのファンをサポートしています。

マイルストーン

1910年代

1915年

1902年、自動車時代の幕開けに、アルフレッド・ゾーデンというパイオニア的エンジニアがシュトゥットガルトのダイムラー社で副工場長として働き始めました。彼は1906年にダイムラー社を退社し、MAN(Vogelmotor)に入社します。ボーデン湖への移動中に知り合ったツェッペリン伯爵から飛行船の技術を紹介されると、最初こそ疑ったもののその技術に魅了され、彼はツェッペリン社の仕事を志願します。ゾーデンの努力は実を結び、1910年にはテスティング部門の部長に就任しました。そして彼は飛行船エンジン開発の一環として、ギア・ホイール特殊研削プロセスを開発したギア・ホイールの専門家であるスイス人エンジニア、マックス・マーグにコンタクトを取ります。ZFはその後、事業のコマーシャル部門を担当したマーグとアルフレッド・コールズマンと共に1915年に設立されました。

1917年

ZFが登録商標となり、最初のロゴが作成されました。

1919/20年

ZFは、乗用車用の最初のトランスミッションである8HPトランスミッションとレバー型トランスミッションを製造しました。

1920年代

1921年

ZFの共同創設者であるアルフレッド・グラフ・フォン・ゾーデンフラウンホーフェンは、彼にちなんだ名前が付けられた4速の自動車トランスミッションを産業専門家に提示しました。その製品は最先端のテクノロジーを特徴としていましたが、製品が商業的なブレークスルーをもたらすかは不透明だったのです。彼は非常に情熱的なエンジニアで、日曜日に家族でドライブしている最中でさえもトランスミッションのテストをしていたほどでした。

ZFは法人形態を変えて株式会社となり、1921年6月24日に商業登記簿に登録されました。

1925年

ZFは1925年のベルリン・モーターショーで、革新的な標準トランスミッションを発表しました。そのモジュール設計はあらゆる車両モデルに対応し、それまでのどのようなタイプのトランスミッションよりも効率化が図れるものでした。標準トランスミッションの成功により、ZFは自動車市場において持続的な躍進を果たしました。

1926年

ZFはドイツのベルリンに工場を開設し、最初の子会社の操業を開始しました。

1929年

シンクロナイザーを搭載したAphonトランスミッションが1930年に初めて導入されて以降、運転中の騒音は格段に抑えられるようになりました。

1930年代

1932年

1932年、ZFは米国企業のロス社が所有するステアリング・システムの製造特許を取得しました。会社は生産初年度のみで10,000台のステアリング・システムを販売し、新規事業部門の足掛かりを築きました。

1934年

乗用車(BMW社、メルセデス社、ホルヒ社)向けに完全に同期されたトランスミッションが、同期を最適化する円錐型のシンクロナイザーとともに市場に投入されました。

1937年

ナチス政府の再軍備政策により、ZFへの発注数が増大するとともに、1937年のドイツのシュヴェービッシュグミュント工場の開設により生産能力が拡大しました。その当時に他の場所で起きたような、ナチスに対するあからさまな反抗は、ZFではほとんど行われませんでした。

ZFは最初のトラクター用トランスミッションとしてA12システムを発売しました。

1940年代

1945年

戦後復興時、取締役のアルバート・マイヤーを含む数人のZFの従業員が、新しい工場をドイツのフリードリヒスハーフェンに建設するための資金を確保し、ZFの新たなスタート基盤を確立しました。従業員たちは最初、工場で唯一無事であった第5ホールで、パスタマシンや肉挽き器などの家庭用品を生産したり、修理したりしていました。これは、マイヤー、ピルカー、メッガー、ミュールハウザーなどのZFの従業員とフランス占領軍との間で協議が行われた結果可能になったことで、フランス軍は当初工場を解体することを計画していました。また、この時期にZFパッサウGmbH(有限会社)も設立されています。

1946年

アルバート・マイヤーは、戦後社会のモビリティのニーズを満たすために2シーターの準小型車であるChampionを設計しました。

1950年代

1950年

アルバート・マイヤー博士

8月、フランス当局はZFの株式を書き換える許可を与え、ZF株の89.8パーセントがツェッペリン財団に(1947年以降は、フリードリヒスハーフェン市)、6.2パーセントがBrandenstein-Zeppelin社とZeppelin-Erbengemeinschaft社に(1990年まで)、4パーセントがMaag Zahnräder und Maschinen AG社に(1989年まで)譲渡されました。第2回監査役会で、アルバート・マイヤーとロバート・ピルカーが正式に取締役に任命され、取締役補佐にはコンスタンティン・シュマーとゾーデンフラウンホーフェン出身のエカート・グラフが含まれ、初代市長であるマックス・グリューンベック博士が監査役会議長に任命されました。

1958年

1950年代末までにドイツの「経済的奇跡」は勢いを増し、さまざまな企業による国際市場への輸出が始まりました。この中には、1958年8月15日にトランスミッションとギアの工場であるZF do Brasil社(所在地:ブラジルのサン・カエタノ・ド・スル)を設立したZFフリードリヒスハーフェンも含まれていました。1959年、ブラジル工場での機械の設置と生産を監視するために移住した一部のZFの従業員とその家族にとって、ボーデン湖を離れることは、この会社の未来を担う第一歩であり、新たな世界での大冒険を意味しました。彼らはまずイタリアのジェノバまで普通列車で移動し、ジェノバからブラジルのリオ・デ・ジャネイロまでは船に乗って移動したとの記録が残っています。

1959年

アウトウニオン社(1958年にドイツ銀行が主要株主となり、Vemag社によりサン・パウロでDKWブランドのライセンス製造が行われた)からの大量発注を受け、社内の製品開発と生産能力拡大のために第2工場が開設されましたが、第1ホールでの大量生産も1965年まで維持されていました。3HP12の生産もここで開始されました。

1960年代

1960年

映画「女王陛下の007」では、ジェームズ・ボンドが運転するアストン・マーチンのスポーツ車にZFトランスミッションが搭載されました。

1960~1963年

ZFは、農業機械用のアクスルおよびトランスミッションという新しい製品分野にも参入することを決断しました。

1961年

ZFは、英国のロータスF1チームと協力関係を結びました。1961年から1968年まで、ZFのエンジニアはこのチームのためにトランスミッションを供給し、レース後には毎回ドイツのフリードリヒスハーフェンで直接トランスミッションを整備・修理しました。このような協力が成功を収めたことは、1968年ロータスの伝説的ドライバー、ジム・クラークが多くの大会での勝利に加え世界選手権をも制覇したことで実証され、ZFはモータースポーツの世界で一躍有名になりました。ロータスで使用されたZFトランスミッションは、改良された4速の標準トランスミッションでした。

1965年

1965年、ZF初の乗用車用オートマチックトランスミッションである3HP12が、BMW社とプジョー社の量産車における標準トランスミッションとして採用されました。プジョー社の開発責任者であるジャック・デボワが、ZFトランスミッション導入を強く支持したのですが、この背景には彼が大戦中ドイツ・フリードリヒスハーフェンの外国人労働者であり、後にZFオートマチック・トランスミッションの父となった当時の同僚オットー・シュバーブの存在を決して忘れなかったということがありました。ハンスヨルク・ダッハとオットー・シュバーブは最初のオートマチック・トランスミッションをZFで極秘に開発しました。彼らは、ヨーロッパ市場におけるその製品の将来性を早くから認識しており、現行のテクノロジーをさらに発展させるために彼らの専門技術を応用したのです。現在、自動車市場でZFのオートマチック・トランスミッションがグロバールな成功を収めていることは、これを基盤としています。

ZFは、創立から50年を経て、ドライブラインとステアリング・テクノロジーに特化したヨーロッパ最大の独立系企業になりました。

1970年代

1970年

1950年代の終わりに、ZFは航空用途向けドライブの開発を再開しました。1970年にはこの伝統的事業分野で、MBBのBO 105ヘリコプターによる金字塔を打ち立てました。これはドイツで初めて開発された、ZF FS 72トランスミッション・システム搭載型大量生産ヘリコプターとなりました。ZFの製品は品質、精度、重量の厳しい要件を満たしていました。

1972年

映画「女王陛下の007」では、ジェームズ・ボンドが運転するアストン・マーチンのスポーツ車にZFトランスミッションが搭載されました。

1977年

Ecomatの大量生産が開始されました。1981年にはEcomatのトランスミッション制御にマイクロコンピューターが初めて使用されました。この革新的な技術は、シュワルツ博士とその同僚によって極秘開発されたマイクロコンピューター・コントローラが基盤になっています。

1979年

ZFは、完全所有のZF子会社であるZF of North America Inc.をシカゴに設立して、米国における業務を開始しました。

1980年代

1980年

ZFの極東の事業所としてZFジャパンが東京に設立されました。

4年間にわたる開発の後、大型商用車用のZF-Ecosplitトランスミッションの大量生産が可能になりました。これはフリードリヒスハーフェンで生産される主力製品の1つとなり、史上最も成功した商用車両トランスミッションでした。この大型商用車用トランスミッションは、それから20年の間に100万台生産されています。この成功を決定付けたのは、設計技師に短期的なな成果へのプレッシャーをかけずに、完全な製品を開発するための長期的機会を与えたことにありました。

1983年

1970年代になるとZFはバス用の低床技術を編み出し、そのコンセプトへの取り組みを開始しました。しかし、この製品の需要が高まるまでにさらに10年の時間を要することになります。ZFは現在、バス・アクスル・システムの主要なグローバル・サプライヤーであり、AV130の大量生産を1983年に開始しています。

1984年

ZFはLemförder Metallwaren社の株式74.5パーセントを取得しました。これは、ZFがシャシおよびドライブライン・テクノロジーのフルレンジ・サプライヤーになる上での決定的な一歩となりました。

ZFは、プーナのZF Steering Gear(26パーセントの株式所有)の設立により、インドで事業を開始しました。

1986年

ZFは、ジョージア州のゲインズビルに工場を建設し、米国で最初の生産施設を開設しました。1986年、この工場は、フォード・モーター社に対して10万台のトランスミッションの供給を開始しました。これにより、米国市場におけるZFの事業は新たな局面を迎えました。

ZFは、乗用車用のZF-Servotronicステアリング・システムの大量生産を開始しました。このシステムは、個別のプログラミングが可能であり、専門家たちから「革新的なステアリング・システムの中核」と評されました。ドライビング速度に応じて増加するエンジン停止力とステアリング力でのスムーズなパワー・ステアリングがこの製品の特徴です。

1990年代

1990年

ZFは75周年を迎えました。ZF芸術財団が創設され、研究開発センターが開館したことを祝いました。

1991年

ZFは、ドイツのブランデンブルク州にあるIFA社の工場を引き継ぎ、その工場を最先端のマニュアル・トランスミッション生産工場へと転換しました。同時に他国への展開も拡張していきました。

1993年

ZFフリードリヒスハーフェン社とChinese Beijing North Vehicle Works Groupは、中華人民共和国にBeijing ZF North Drive System Technical Co. Ltdを共同で設立しました。これにより、他のドイツ企業と比べて非常に早い段階で、アジア地域でZFの存在感を高めるための道が開きました。

1994年

創立20周年を迎えたサウスカロライナ州ダンカンの工場で、ZFのアクスル・システムが初めて生産されました。

1999年

ZFレンクシステムGmbHが営業を開始しました。

2000年代

2001年

Ernst Sachs

ZFグループはSachs社を買収・統合しました。企業文化が非常に異なる二社の合併は、経営陣や従業員にとっての大きな挑戦となりました。

2002年

ZFレンクシステム社はZF-Servolectricの電気駆動型ステアリング・システムの大量生産を開始しました。顧客には、BMW、Audi、VWなどが名を連ねます。非常にモダンなステアリング・システムが、ロバート・ボッシュ社との合併事業である同社から生まれました。1999年からこの2社は開発に全力を注ぎ、互いの専門技術を統合して共にプロジェクトを成功に導きました。

2003年

ZFフリードリヒスハーフェン社はZF Lemförder Metallwaren AG、Lemfördeの持ち株を75.6%から100%に増資しました。代わりに、前株主であるDr. JürgenとUlderup財団LemfördeがZFフリードリヒスハーフェン社の持ち株6.2パーセントを取得しました。

2004年

最初に大量生産されたオペル社のコンパクトクラスであるアストラに、ZF Sachs製のCDC電子ダンパー・システムが初めて搭載されました。

2006年

ZFは、IAA国際商用車ショーで新しいEcoLifeバス用トランスミッションを発表しました。

新世代の6HPの大量生産が開始されました。

2007年

ZF Engineering Pilsenがチェコ共和国に設立されました。

2008年

ZFは乗用車用ハイブリッド・モジュールを製造するために、ヨーロッパ最初の産業生産施設をドイツのシュヴァインフルトに開設しました。

ZFは、7速デュアルクラッチ・トランスミッションの大量生産を開始しました。

ブリュッセルに本拠地を置く反トラスト機関が電機メーカーであるCherry社の買収を承認し、ZFグループのエレクトロニック・コンポーネント事業部門となりました。

2009年

8HPの大量生産がドイツのザールブリュッケンで始まりました。

ZFサービスは風力タービンのギアボックスの修理ビジネスを世界的に拡大し、その調整業務を行う新しいセンターをドイツのドルトムントに開設しました。

設立された地域に深く根付く自動車業界の多国籍企業として、ZFは2009年ドイツのフリードリヒスハーフェンで若者や子供を対象にした知識ワークショップを開設し、地域とのつながりを強化しました。この施設は、開催地の若者をエンジニアリングの世界に紹介することを目的としています。より多くの知識ワークショップをその他のZF拠点で開催することが計画されています。

8HPが市場に投入されました。

2010年代

2011年

ZFグループは、Hansen Transmissions International社を買収し、この会社は後に風力テクノロジー事業部門に組み入れられることになります。

2012年

ZFは、世界初の7速マニュアル・トランスミッションを開発しました。

2012~2013年

フロントエンジン横置き乗用車用の最初の9速オートマチック・トランスミッションが2013年に大量生産されるようになりました。2013年末以来、ランド・ローバー社のレンジ・ローバー・イヴォークにはこの9HPが搭載されています。同じ年に、クライスラー・グループも、ジープ・チェロキーに組み込まれる9速オートマチック・トランスミッションのライセンス生産を開始しました。

2014年

プラグイン・ハイブリッドの大量生産が開始されました。

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